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【横浜港】手作業で!?大さん橋を100年以上支えた縁の下の力持ち”螺旋杭”とは

はじめに


いつもポートサービスのブログを読んでくださり、ありがとうございます。

ポートサービス大さん橋営業所のすぐ隣にある横浜港大さん橋国際客船ターミナルは、豪華客船が行き交う横浜港のシンボルとして、多くの人に親しまれています。その大さん橋の下には、かつて100年以上にわたり港を支え続けた螺旋杭(らせんぐい)が存在していました。
今回は、大さん橋とともに歩んできた螺旋杭の技術と歴史をひも解いていきたいと思います。
大桟橋

横浜港と大さん橋の誕生


まずは、横浜港のはじまりを振り返りましょう。
横浜港が開港したのは1859年。当時は仮設の波止場しかなく、大型船は沖合に停泊し、小舟を使って貨物や乗客を運ぶのが一般的でした。
やがて港の発展とともに、より本格的な港湾施設の整備が求められるようになります。そして1894年、イギリス人技師H.S.パーマーの設計によって鉄桟橋(現在の大さん橋)が完成しました。これは、日本で初めて大型船が直接岸に横付けできる構造の桟橋でした。

1923年の関東大震災では大きな被害を受けましたが、復旧を経て大さん橋として再び港を支え続けます。その後、1989年から始まった改修工事を経て、2002年には現在の横浜港大さん橋国際客船ターミナルが完成。現在では、3万トン級の客船が最大4隻同時に接岸可能で、年間300万人以上が訪れる横浜の代表的な観光スポットとなっています。また、桟橋の完成により、横浜は日本有数の国際貿易港へと成長。経済・物流・文化の交流拠点として、東京と並ぶ大都市の基盤が築かれていきました。

横浜港の歴史についてはこちらのブログもご覧ください😀
昔の大桟橋▲山下臨港プロムナード高架に描かれた1910年頃の大さん橋周辺図

縁の下の力持ち!人力によってねじこまれた螺旋杭とは?


大さん橋入り口付近に展示されている螺旋杭(らせんぐい)は、明治時代に建設された旧大さん橋の土台として使用されていた構造部材です。らせん状の金属杭を、人力で地中にねじ込んで施工する方式で、地盤をしっかりと固定する役割を担っていました。

およそ570本もの螺旋杭が海底にねじ込まれ、その上に床板が敷かれて大さん橋が築かれました。鉄製の杭を用いていたことから、当時の大さん橋は鉄桟橋と呼ばれていました。
現在では重機を使って正確かつ迅速に杭を打ち込むことができますが、当時はすべて人の手によって、一本ずつ丁寧にねじ込まれていたといいます。

※建設当初は約500本、その後の復旧や拡張でさらに多くの螺旋杭が使われました。
螺旋杭▲大さん橋の入り口に佇む螺旋杭

1994年の再整備工事で螺旋杭が引き抜かれ、2002年の新ターミナル完成時に歴史的遺構として展示されるようになりました。螺旋杭の大きさは、長さ約20m、螺旋部分の直径1.8m、重さは約6トン。実際に現物を目の当たりにすると、その重厚感に圧倒されます。

「これを何本も手作業で…」と想像するだけで、当時の技術者や作業員たちの努力と根気に頭が下がります。100年以上にわたり海底から桟橋を支え続けたこの螺旋杭は、港の発展を支えた“縁の下の力持ち”。今も静かに大さん橋の歴史を見守り続けています。

おわりに


関東大震災や横浜大火など、数々の災害を乗り越えてきた港町・横浜。街のところどころに、歴史を物語る建物や遺構が今も残されています。大さん橋もそのひとつ。普段は何気なく通り過ぎてしまう場所にも、100年以上の時を刻んだ物語が隠されています。
次に大さん橋を訪れる際は、ぜひ螺旋杭の展示にも目を向けてみてください🎵今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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参考文献
「横浜港」の発展 〜 横浜 | このまちアーカイブス | 三井住友トラスト不動産
大さん橋 - Wikipedia
大さん橋とは │ 横浜港大さん橋国際客船ターミナル
横浜みなと博物館 螺旋杭の動画

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