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【海図】航海の案内書の歴史/海の地図を知ろうA

はじめに


前回は海の上の地図、海図について紹介しました。今では安全な航海のために
欠かせない海図ですが、かつては“海図がない”という時代もあったそう。今回は海図の歴史を見ていきます🎵トップ海図A

海図がない?!


豊臣氏が政権を握った安土桃山時代。海外貿易が盛んだった日本では、ヨーロッパで使われていたポルトラノ海図が多く作られていたといいます。

ポルトラノ海図とは、コンパスをあてて方角やルートを確認できるように、32本(16本の場合もある)の方位線が記された海図のこと。陸地に比べて沿岸線や港、岬が詳細に記されています。ポルトラーノとはイタリア語で航海案内書のことで、港から港への案内機能をもった地図を意味していました。ポルトラノ海図▲ポルトラーノ図(カタルーニャ世界図, 部分, 14世紀/パリ国立図書館蔵)

時は過ぎ、徳川家が日本を治めるようになると、鎖国令により海外渡航が禁止され、海図が使われない時代が続きました。そのころ、日本に鎖国を解くように求めていた諸外国は、航海の安全のために測量を行い、自国の海図を作成していました。
しかし、外国人によって沿岸が明らかになることを不安に思った幕府は、沿岸航海用の案内図、『海瀕舟行図』を作成するに至りました。

海図のはじまり


寛政12年に伊能忠敬による全国測量が開始。21年後に完成した大日本沿岸與地全図「伊能図」は日本の海岸線を正確に示していたといいます。これを利用して、幕末に来航した英国海軍は日本沿岸の近代的な海図を作りました。

日本での第一号海図『陸中國釜石港之圖』は、日本海軍水路寮の手によって測量され、明治5年に刊行されました。釜石港は当時、東京〜函館間の中間補給地点として重要な港だったころから、海図の対象港として選ばれたそうです。第一号海図海保▲海上保安庁ホームページより引用


おわりに


日本の海図の発展に、貿易による外国船の入出港が大きく関わっていたことが分かりました。そして、海図は今でも進化を続けています。
浅瀬や水中障害物の発見、航路の掘り下げなど、海底の水深や状況は常に変化しています。2011年に発生した東日本大震災では、東北地方の地盤は20センチから1.2m沈降しました。安全な航海のために地盤や海底の測量・調査をし、最新の海図にアップデートされるため、“海図は生きている”とも評されます。

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました😊
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